ルマン24時間は1923年から続く、歴史あるレースで、様々な面白い逸話が残っています。今日のブログでその逸話のいくつかをご紹介させていただきます。
●ルマンを喜ばなかったフランス人
すでにご存じの方もいらしゃるかもしれませんが、ルマンのレースは一部フランスの一般道路を使用します。その部分は、レースの最中、一般人に立ち入り禁止となります。ただ、1957年、その立ち入り禁止に困ったフランス人のひとりが、家に帰るために、一瞬でフェンスを開いて、レース中にコースを横切ったということがありました。そのフランス人はただ早く家に着きたかっただけかもしれませんが、いやはや、無事でよかったですね。
●ルマン24のレース多様性
ルマン24はスポーツカーだけではなく、様々なレースがあります。その中に、オートバイ、トラック、自転車、ローラースケートなどのレースもあります。ルマンクラシックと言うバージョンも人気あります。そのカテゴリーは、1923年から1979年までのクラシックカーが走るレースです。
●伝説のダンロップアーチ
車が通るダンロップアーチはルマンの一つのシンボルです。サーキットは様々な変化をとげても、1923年に建たれたアーチだけは今も大切に保存され、使われています。
●ルイ・ロジエの徹夜
昔はル・マンのチームには、パイロットが現在の3人ではなく、2人しかいませんでした。1950年、ルイ・ロジエが自分の息子とレースにエントリーしました。ただ、父親の熱意とはだいぶ温度差のあった息子のジャン・ルイ・ロジエは、たった2周しか走らなかったのです。ルイ・ロジエは、スタートの50分後、息子からバトンを受け取り、23時間10分のレースをひとりで走り続けました。素晴らしいでしょう?
来年のルマン24には、また新たな逸話が加わるかもしれません。その貴重なシーンに現地で立ち合いませんか?こちらのル・マンツアーをご覧ください!
写真クレジット Arnaud333 Wikipedia CC BY-SA 3.0