
毎年1回は食べたくなりますが、日本で入手はほぼ不可能ですので、食べるにはフランスかベルギーに行くしか手はありません。しかし「牡蠣を食べに毎年パリへ」というわけには行かず、今回は3年ぶりの来店となりました。思えば最初にこのレストランを訪れたのは1986年、変わっていない内装、変わっていないギャルソンたち(年はとっていますが)、変わっていないメニュー(値段はフランからユーロになったしインフレも確実に反映されている)がなんとも心地いいんですね。
さて、先ずはブロンを12個注文、ワインはムスカデ、牡蠣の後はここのもう一つの名物であるアルザス料理の盛り合わせプレートがいつものコース。ところでパリでアルザス料理が広まった訳をご存知ですか? 実は1871年のフランスとプロシアの戦争(ナポレオン3世 VS ウイリアム1世+ビスマルク)で、負けたフランスがアルザス・ロレーヌの2県をドイツに割譲したことで、その地に住んでいてドイツ領に属するのと良しとしない人たちがパリに移住して広めたと言われています。
アルフォンソ・ドーテの「最後の授業」もこのエピソードが背景になっていますし、第1次、第2次の世界大戦もこの地を巡ってのフランス・ドイツの争いが下地にありました。EU発足の遠縁の理由も「この地の管理を共同体に預けてしまえ、そうすると争いが起きないから」といわれています。
まぁ食事には全く関係ないことですが、ボファンジェ150年の歴史を紐解くとこんなエピソードがあり、これからもずーと存在して(もちろん今のレベルを保って)欲しいと強く思っているレストランの一つです。
このブログを読んだ人にはぜひ行ってください。心よりオススメします。
